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サマーディズ・ソニック再襲来

今日は9月11日。
詩人、山之口獏さんの誕生日なのだ。

なぜ獏さんの誕生日を記憶しているかというと、2003年の今日、“命どぅ宝ネットワーク”主催の『山之口獏生誕百年祭』に獏さんに扮して獏さんの詩『がじまるの木』その他数篇を朗読したからで、獏さんの生誕を祝福するのならばと、もとよりヤマトンチュの記者としては沖縄の悲劇を歌うことはあたわず、もっぱら「あるべき沖縄」を歌ったものを選んだのだ。
獏さんは明治36年の生まれなので今年は生誕114年なのだ。
獏さんは現在も生きている。
だが、今日は祝福の日であると同時に、追悼の日でもある。
いや、それを言うなら毎日が祝福と哀悼の日であって、なにも2001年のニューヨークの事件を持ち出すこともない。
毎日、誰かが生まれ、誰かが死んでゆく。
それでも、この日が近づくと「いのち」を考える。
なぜならば、だ。
実を言えば個人的なことなのだが。
・・・・・
あさって、13日は記者の誕生日なのだ。
それも、55歳の。

ふらんす辺りだと定年退職の歳なのだ。
もうひとつの峠に向けて歩みを踏みだす準備ができているだろうか。
・・・・・
とりあえず、明日12日は7月に‟滑りに滑った”下北沢の庄野真代さんのお店Com.Cafe音倉の平和音楽祭「セプテンバー・コンサート」で歌うのだ。‟リベンジ”なんてケチな理由置いておき、‟「いのち」を考えるところに三摩地あり”の実践と思っていただきたい。
54歳の最後の夜なのだ。
しっかり歌いたい。
・・・・・
だが、翌朝。
55歳を迎えて、記者のこころは大いに揺さぶられるのだろうか。
・・・・・
揺れたら揺れたで、それでいいのだ。






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てまひま無用で楽々生活

ははん、今日は旧暦の7月15日か。 
それで「旧盆」なわけね。
だけど、今年の旧正月は、確か1月のうちにあったと記憶しているが・・・・

そこで、暦を確認したところ、今年の旧暦の元日は1月28日だったのだ。
ならば、旧暦の7月朔日も7月中にありそうなものをと思って暦を繰ってゆくと、閏月が見付かった。「まあそんなところ」と見当はつけてたけど、五月を二度繰り返していたとは!
なんで五月なのか?
五月じゃない月で閏月を設ける年もあるのか?
調べる手間を惜しんで先を続けよう。

旧暦は大の月が30日、小の月が29日で成り立っている。組み合わせが複雑だから、大雑把に云って1年は360日ということになる。そこで何年に1度くらいの割合で1年を13か月にする必要がある。
閏月のあるゆえんだ。
だが、そんなことは置いておこう。

世間では8月15日前後を「月遅れの盆」とか「田舎のお盆」とか云ってるが、正式に則れば旧盆が新暦の7月に来る年もあれば、今年のように9月に来る場合もある。沖縄や南九州のある地方などは、れっきとした旧暦で盆を迎えている。
いったい、いつ、誰が新暦の8月15日を「旧暦のお盆」であるかのように言い出したのだろう?
調べようは、ある。
易学関係とか、カレンダー製作会社とか、暦に関わる人なら知っているであろう。
調べる手間を惜しんで、さらに先を続けよう。

盆休みが年によって7月になったり8月になったりじゃ、歩調が合わない。特に外国企業とは。
明治4年の12月の半ばに無理やり新暦に切り替えて元日を迎えた例も、どこかで外国と歩調を合わせる必要があったからだ。
だが、タイミングが悪い。
どう考えても「やっつけ感」が拭えない。
「時間をかけずにパパっと済まして先へ行こう」 と、これは合理主義が近代国家の要望を応えるかたちとなった。
同様に、8月15日を便宜的に「旧盆」として固定した方が現代人のライフスタイルに合致するとした、と見て間違いはあるまい。
多分、そうであろう。

手間暇をかけるには現代は忙しすぎる。だからシンプルに。
けれど、仏教者がそれを許していいのだろうか?
もっとも、禅宗の寺院で護符だの水子供養などを売り物にしているところもある。「おかしいじゃないか」と議論したくなるがまあいいだろう。

この文章には論拠はない。
疑問を追求すれば、これは立派な研究になるのだが。
面倒だから、言いっ離しで済ませる。

余震あり?サマーディズ・ソニック 

20日の『贋 宮本武蔵伝』をもってサマーディズ・ソニックは終わった。
総括してみようか。

7月12日 ; 下北沢のカフェ音倉(庄野真代さんのお店)でオープンマイク。
         インディーズのアイドルのための企画のオープンマイク枠に参加して、三摩地の世界をみせようとしたけれど、久々に「なんだ?こいつは!」の空気をつくり、結果は(歌の文句じゃないけれど)「どんぶり鉢ゃ 浮いた浮いた」だったのだ。つまり、浮いただけじゃなくバランスを崩して一気に水底へ・・・・。
後日談がある。
次の週、法政大学へ庄野真代さんの講義を聴講。中川五郎さんがゲスト講師に。講義の後、三人で軽く一杯。庄野さんにオープンマイクの仕切り直しを誓う。(・・・できるのかなぁ?)


8月4日 ; 憲法フォークジャンボリー初日の「とり前」。
        15分で歌あり一人芝居あり、そしてコール・アンド・レスポンスのシングアウトを盛り込んだ『忠治、山を下りるの巻』のパフォーマンスを展開。 表現者15組が参加するその日の話題のすべてを掻っ攫うと豪語しての参加だったのだが・・・・。
抜いた刀を納めるとき、見端をよくしようと浅く差していたのでアリャリャ?上手く納まらない。その上、シングアウトでは音程が掴めず、とんでもなく高いキーで歌うことに。
前半はカッコよく、後半はズッコケるという思いのほかの展開だったが、これが大うけ。ある意味、話題を掻っ攫ったので結果オーライ。
でもなぁ・・・

8月14日~16日 ; 新潟県福山新田の祭りで福山太鼓のサポート。
              これは成り行きで樽太鼓をトントコトントコ叩くことになったのである。こちらは太鼓はずぶの素人。稽古も上手くゆかない。いつものことながら、本番でどこまでテンションが上げられるかが勝負となった。
出来はというと、これは地元の人と仲間とのアンサンブルにかかるもので、記者本人の評価するところにあらず。土地の人から喜びの声をいただけたことが、すべてを証明していると言えるのではあるまいか。
それにしても、同行した『菩南座』というライブハウス(神奈川県大和市鶴間)のTAROさんって御仁は・・・。 ありゃ、とんでもない不良爺ぃだね。 記者に向かって「こいつは“ど変態”だ」と最高の評価。 アッハ! そうゆう出会いがあるから旅はたのしい。

そして
8月20日 ; さんまじ奇譚集Vol.25 『贋 宮本武蔵伝』。
        二部構成で、一部は『巨人の星』(吉川英治『宮本武蔵』の影響がかなりあるので)のパロディを交えて武蔵の滑稽な生き様を語る漫談をキッチリ1時間。 かなり駆け足で語ったのでメリハリがなく、お客さんを置いてけ堀にしてしまった。駆け足というより、急滑降だね。いやぁ、よく滑った! 第一部だけでライブしてもよかったのだ。あと30分は欲しかったので。
だが、このライブの肝は第二部なのだ。
一部とは対照的に、こちらは重い。どこまでも暗く重く、語り口を変えての語り芝居である。
戦争にしか貧困からの脱却の夢を求められない愚かさ、悲しさを語ったもので、「戦って死ぬを名誉とする男たちを背景に、女は生きて命を守る」というところがドラマの見せ所。 こちらもキッチリ1時間で済ましたのだが、決闘場面の緊迫感が描き切れなかった。もう少し余裕をもって演じたいと思う。
“さんまじ奇譚集”にはそれぞれタネ本があり、記者がいかにタネ本を読みこみ、自分のものとして作りなおしてタネ本をリスペクトしなおすことを眼目にライブを続けているのだが、この『真剣勝負』(原作・伊藤大輔)はこの先も語り続けたいネタの上位に位置するものなのだ。会場に合わせて短めのヴァージョンも考えておこう。

ともあれ、さんまじ夏祭りは終わった。
だが、不出来の結果の借りは返さねばならぬ。
自分に求めるのは常に修繕力なのだ。破れほつれは繕えばいい。『忠治』ではアドリブがものを言った。転んで見える景色もある。そういえば、福山新田でも『忠治』のさわりをやったが(屋外で)、途中、溝にはまって転倒したっけ。それも有りよ。
真代さんにも借りがある。
そして、五郎さんにも。

余震はつづく

三摩地(サマディ)夏祭り~サマーデイズ・ソニック

昨日、両国から浅草~上野~秋葉原~御茶ノ水と歩き詰めに歩いた。
結果、腰にまたぞろダメージが。
それ以上に困ったことは、熱中症になりかけ、対処にエアコンの風を浴びすぎ昨夜から断続的に悪寒が・・・

しかし、
なのである。

明日9日は17時から大久保の労音アートコートで毎年恒例の、フォークグループあじさいの「うたいつづけるコンサート」の司会が入っている。

12日は下北沢のカフェ音倉でオープンマイクに参加。初めてのお客さんばかり(若い人が多そう)で期待わくわく。
久々に「なんだ?こいつは!」扱いされるかも。それもやる気に火をつける。

8月4日は憲法フォークジャンボリー初日の「とり前」をつとめます。
歌あり一人芝居あり、そしておたのしみ企画ありの贅沢な15分のパフォーマンスを見せます。

8月14日~16日はジャンベ奏者の永原元さんからの誘いで魚沼の山村の祭りにお邪魔する予定。

8月20日は労音御茶ノ水センターで14時開演、さんまじ奇譚集の新作 『贋 宮本武蔵伝』 。
武蔵とは何者か?記者なりの解釈による異説・宮本武蔵伝というわけで、あたまに「贋」をつけた次第。

というわけで、この夏は衝撃波が次々と襲うのだ。

さらに、11月には「三摩地プレゼンツ」で歌のライブを企画しています。ツーマンでやりますが、相手はあの・・・!
ウッフフ!
詳細は、追ってまた。

Yカフェの話

YWCAのカフェを利用することがある。
YWCAというと知ってのとおり女子のキリスト教系の団体だ。店はその建屋の奥にある。
初めてカフェに入るときにはかなり躊躇したが、その店が女性専用というわけではない。
記者は街歩きをしていて商売っ気の感じない店をみつけると入らずにはいられないのだ。なにか、そこにはそこだけの時間が流れているようで、その扉を開けると別世界に誘われるような期待を持ってしまうのだ。とりわけ、自分の生き方に疑問を感じているときには・・・

記者は三摩地の名が示すとおり在家受戒までした仏教徒なのである。
とは言え、かつてカトリックの施設で働いていたことがある。毎朝、お祈りと聖歌斉唱を義務付けられたことにはわずかな抵抗はあったが、歌による伝導とか神との対話とかを考える良い機会ではあった。
歌をつくり、歌い、あるいは“語り”という方法で人が織りなす泣き笑いを伝える。善と悪とを行ったり来たりの人間の業を表現したいとして活動してきたが、伝えきれないで力不足を思うことが、ままある。

自分とは無縁の世界を覗いてみたいと思う。発見の宝庫なのだから。
カフェの扉を開ける。
静かな空間がひろがっている。
しばしここで温かいココアで憩う。

この店では毎週水曜日にはランチを用意しているという。
第1と第3の週はグリーン・カレーを、第2.と第4の週はハッシュ・ド・ビーフを出す。
ハヤシライスには特別の思いがあって、かつてブログのどこかに書いたと思う。あるいは書いていないかも。いずれにしても、いくつかのエピソードがあって、そのうちの一つは『お気に入りの店』としてミステリーに仕立てて語りのネタにしている。
それで、そこのハッシュ・ド・ビーフなのだが・・・

慈善団体の出すハッシュ・ド・ビーフなんてたかが知れていると軽く踏んでたら足をすくわれた。
これは旨い!
食べ終わるのが惜しいので、自然と匙の運びがゆるやかになる。
お見それしました!

まさに「おみそれ」なのだ。
ハッシュ・ド・ビーフに一言あるほどに、分かっているつもりで分かってなかったということ。それはつまり、ハッシュ・ド・ビーフに限らず、記者は分かってないことだらけであったということなのだ。
往々にして記者が他者に理解されないのは、記者が他者を理解していないことに起因しているからかもしれず、そのこと自体を発見していないから迷い悩むのかもしれない。
謙虚さというものは、そうゆうときに物を言う。
知らないことを発見し、なお知らないでいることを受け入れる。
知られないことを発見し、なお知られないでいることを受け入れる。
そういえば、『お気に入りの店』も実体験から作った話だが、謎の多い店で、もう10年そこへは通ってないけど、今でもその謎は探ってはいけないものと思っている。
世の中には“知る喜び”と同じくらい“知らずに済ませる喜び”がある。

そのYWCAのカフェがどこにあるのか、なんという名前なのかをここに記すつもりはない。
調べれば分かることであり、記者と同じように誰かが偶然その店と出会うことが大切だと思うから。
なにより、そこは記者にとって隠れ家なので、お客がわんさと寄せても困るのだ。
“知らせない喜び”というのもある。


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