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『人生劇場』風雲篇

「偶然を必然に代えて生きる」という言葉を記者が覚えたのはいつだったか。母を看取ったあとだったと記憶しているがはっきりとした年は覚えていない。だがどこから覚えた言葉かだけははっきりしている。尾崎士郎の『人生劇場』風雲篇だ。
昭和14年『都新聞』に連載した『人生劇場』風雲篇の序文にこの言葉がでてくる。これは『人生劇場』全七部に通づるテーマであるが、風雲篇に於いてはことさら説得力がある(いささか強引なまでに)。新潮文庫版『人生劇場』風雲篇のカバーの裏側に掲載された案内文にも引き合いに出されているほどである。
『人生劇場』風雲篇が書かれた時代背景をみてみよう。
前々年に中国との戦争が始まって、翌13年には国家総動員法が公布、15年には日独伊三国同盟締結・大政翼賛会発足、翌年の東条英機内閣成立と太平洋戦争突入につながってゆく時代だ。
小説の登場人物は日華事変の勃発にともない次々と大陸に渡ってゆく。青春篇・愛欲篇・残侠篇と続いてきた『人生劇場』の登場人物はそれぞれおのれの意思で動き、出会うべくして出会い、別れるべくして別れてゆく。偶然か必然かそれをくりかえし、登場人物は奇妙な縁で絡まりあうのだ。記者などは読んでて「ははん、成る程、ここでこの人物とこの人物が絡むのか」となんどもその結構に感心したものである。ところが、続く第四部風雲篇になると急に詰まらなくなる。登場人物が時代の波に翻弄されるせいか、どことなく精彩に欠け、話の筋がぼやけてしまっている。この後に続く話は作者=主人公の従軍記なのだ。ひと頃映画界では「『人生劇場』を作れば当たる」といわれ何度も映画化されてきたが、そのほとんどが青春篇・愛欲篇・残侠篇なのもうなずける。余談だが、記者のお気に入りの任侠映画ベスト1は内田吐夢監督『人生劇場 飛車角と吉良常』なのだ(この話題については機会をあらためて述べたいと思っている)。
さて、あらためて『人生劇場』風雲篇の時代を考えてみよう。
風雲急を告げるのは日中関係である。
盧溝橋事件は偶然だったのか、必然だったのか?
昭和12年7月7日、ところは盧溝橋の中国軍の駐屯地近く。日本軍が夜間演習を終えた直後のこと。数発の射撃音がして一人の兵士が消えた。中国軍に殺されたか拉致されたかということで、日本軍が仕返すかたちで戦争は始まった。
もうすこし詳しく説明してもよいのだが、ざっくり言うとこうゆうことらしいのだ。「らしい」というのは要するに日本側だか中国側だかに、あるいはどちら側にも策術(詐術)があって、なにか事実をでっちあげているように思えるからだ。ちなみに消えた兵士は程なく見付かった。なんのことはない。便所に行ってたのだ。
そう。 
便所に行ってただけなのだ!
これを偶然を必然に置き換えて言うのなら、「嘘から出たまこと」ならぬ「糞から出たまこと」というべきか。
『人生劇場』を書くにあたり、作者は「世の中を股ぐらから覗いてみようと思っている」と述べている。偶然だが、なにか笑えるような、笑っては不謹慎の謗りを受けそうな話だ。
それにしても記者は「偶然を必然に刷りかえる」昨今に危機を感じるのだ。「必然」という思考の裏側に「しかたがない」というあきらめが感じられてならない。
不安な時代ほど世の人々はこの考え方に生きる希望を託そうとするのではあるまいか。「しかたがない」をこころの拠りどころとする考えを。
身に降りかかる不幸を偶然ではなく必然と捉えれば、それはそれで納得がゆく。あるいは責任所在がはっきりする。責任追及の矛先が見付かれば、行動することで悲しみを紛らすことができる。偶然が重なる不安定な世の中を生きようとするとき、必然としての他者を攻撃する大義をこころの支えにするようなことがありはすまいか。理不尽を必然として受け入れてはいまいか。理不尽はそれを糺すことこそが必然であり、それは最初から必然であって偶然から刷りかえられたものではない。
『人生劇場』が風雲篇以降面白くなくなったのも、登場人物が、そして作者自身がおのれの意思で行動することを制限される時代を「しかたのないこと」として捉えているからに他ならない。


今日、一人の人物の訃報を聞いた。
「しかたがない」ですまされない半生を送った人だ。
その人の名を小野田寛郎という。
(この稿つづく)
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