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ソチのファンタジー

ヒーローを待望するのは不安の裏返しか?
閉塞した状況では、悪党も不世出の英雄になる。
叡山焼討、伊勢長島の一向衆へのジェノサイトその他諸々の第六天魔王や、権力ボケして意に染まぬものを切腹させまくったり朝鮮出兵したりの禿ねずみ、近年ではやくざな弟に手を焼き母親とは一卵性親子とバッシングされた女性歌手、はたまた、いいとこのお坊ちゃんで苦労知らずで周りからチヤホヤされてきた驕児の兄弟(弟は銀座あたりで飲みすぎたのか身体を壊して若死にした。兄はいまだに「何様のつもり」の状態で、こいつ「死ななきゃ治らない」病気らしい。兄弟揃って「治ったときには手遅れ」なのだ)。
アメリカは国民的英雄にデビー・クロケットやワイアット・アープを持っている。
佐藤忠雄は西部劇を「アメリカのうぬぼれ鏡」だと云った。
うぬぼれ鏡とは自分の及ばない夢を他の誰かに託して自分の誉れとすることだ。
日本人がノーベル賞を受賞すると猫も杓子もその話題でもちきりになるのも、受賞者が噂をしている人たちのうぬぼれ鏡になっているということなのだ。オリンピックのメダル然り。
文化勲章をもらった某歴史小説家は先の戦争を引き起こした日本人を憎むところから出発し、逆に「戦争を引き起こした連中より以前にもっと素晴らしい日本人がいた」として、竜馬やら秋山兄弟やらを書いた。いや、描いたというべきかもしれない。事実に虚構を加えて理想のヒーローに作り変えたからだ。こうであった竜馬ではなく、こうあってほしい竜馬を書いた小説を読んで読者もまたうぬぼれ鏡を見出したわけだ。
文化勲章といえばヤクザ映画のスターもうぬぼれ鏡だ。「死んで貰います」で文化勲章というのも変な話だが、文化勲章というもの自体がうぬぼれ鏡なのだ。「わが国にはこれだけ素晴らしい文化人がいます」と自慢してるようなものだが、じつはそれを与えている方にとってのうぬぼれ鏡であることに気付く必要がある。
誰かをヒーローに仕立て上げることはペテンのそれに近い。
分不相応の栄誉を与えられた者がペテン師なのではなく、与えたものがペテン師なのだ。
障害を乗り越えて偉業を成し遂げたことがデタラメ話だった話題で、誰が一番の嘘つきかといえば、デタラメ話を「そうであって欲しい」としてそれを聞いた人なのだ。「障害を乗り越えて偉業を成し遂げた」という受け取り方に「障害者なのに立派な」という差別が見え隠れしているところに、うぬぼれ鏡の嘘がある。すなわち、差別を賞賛にすりかえる嘘だ。これは罪が深い。もっとも、それを最初にやったのはデタラメ話の発信者であろうが。
勝新が生きてたら「座等市は目が見えていた」という映画(イリュージョン)を撮るだろう。


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