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“奇妙な味”の味わい方~その3

ヒッチコックが宴席で話した怪談のオチは暗闇で関係をもった相手がレプラだったというのだが、このとき女性陣から「きゃー」という悲鳴が上がったと乱歩は伝える。ヒッチ氏、話を始める前に「どうぞ食事をしながらお聞きください」とイジワルな演出をしたそうな。
記者が高校に上がって間もない頃、あるミステリ好きのクラスメートのA君にこの話をしたところ「俺が聞いた怪談で一番怖い」とのうれしい感想。
ありうる怖さなのだそうな。
30代最後の年にバックパッカーでモロッコを旅したおり、砂漠のキャンプで英語でこの話を居合わせた他のバックパッカーに話して聞かせたら、ラストでドイツ人の一人旅の女性(記者と同い年だった・・・)が「Ah!」と悲鳴をあげたっけ。
してやったり!
しかし・・・

かつて、長い間迷信によって差別されてきたハンセン病患者をブラックユーモアのオチにあつかうことは許されるのだろうか。人権意識に鑑るならば許されないのだ。“ウケ”を狙って身体(知的・精神を含む)障害や民族・人種を笑いや恐怖の対象にすえるとしたら、悪意を超えて醜さを感じる(弁解すればブラック・ユーモアはそれを風刺しているのである)。このオチを怖いと感じるのも、面白いと思うのも、差別意識が話し手にも聞き手にもあるからで、正直に言うと記者にもそれがあるのだ。
差別があった(いまだにある)という事実が話を面白くするのならば、その話は差別の上にあぐらをかいていることになる。そして、そう。記者の心にも醜悪な悪意があるのだ。乱歩の小説にはモラルのかけらもないと言ったが、話を面白くしたいとき「モラルなんてクソ喰らえ」の気持ちが記者にもはたらくのだ。
乱歩には『芋虫』というマゾヒズム小説の極致といわれる作品がある。戦争によって四肢を奪われた廃兵の末路を描いたものだが、乱歩の執筆動機は“反戦”ではなく、「悲惨な現実を描くには戦争がうってつけだっただけ」と言うのだ。乱歩にとって、まず大切なのは“表現方法”であって、そのテーマが世にあって適切であるか適切でないかは二の次なのだ。金鵄勲章を得ながら廃兵となった軍神の妻が性的欲求不満になって夫を虐待する物語は軍部の命令で発禁になったが、乱歩に社会主義があったわけではない。戦時中に発表した小説のなかで、夜の空襲の爆撃を(花火のようで)「美しい」と言ってのける乱歩なのだ。
幼児的感覚偏重主義者!
おのれの感覚のみを頼りに表現してゆく乱歩は、その幼児性を理解されたのか、思想犯として捕らわれることはなかった。なんとなれば、幼児性は導き方次第で言いなりとして使いやすいのだから。右にも左にも、世間知らずで単純な考え方しかできない者を抱きこんで、おのれの言いなりに育ててゆこうとする輩がいるものだ。やくざの世界なんてその最たるもの。難しいことを考えるのが苦手なヤンキー連中を抱きこんで構成員を増やす。「馬鹿とハサミは使いよう」というわけだ。してみれば、ヘイトスピーチなども幼児的感覚だけで叫んでいる者がほとんどなのではあるまいか。
話がそれた。
要は、記者の表現に人権を無視したところがあるということなのだが、記者はその問題を乗り越えようとして、実はその行為そのものを楽しんでいることを告白したかったのである。
記者もまた幼児的感覚偏重主義者なのだ。
ライブ『奇妙な誕生会』でヒッチコックのエロチック・ハラアをやらなかったのは、記者がヒューマニストに成りすましていたからに他ならない。表現者として腕に覚えがあるのなら、あえてやるべきだったと、今は思う。

あとは余談だが。
乱歩にも戦後に書かれた同じような短篇がある。ヒッチ氏来日の前年、昭和30年7月の発表だから乱歩がパクッたわけではない。
『防空壕』というのがそれだ。
防空壕の暗闇の中で関係をもったうぶな青年、相手は可憐な少女だと思い込んでいるが、相手は久々に女の悦びを味わって(しかも相手が孫ほどの年下の若者で)嬉しかったと回想する老婆だったという話だ。
そんなバカな話があるかしら?
いや、ある。
こうゆうことは万国共通。洋の東西を問わず心当たりのある男性が多いのではなかろうか。つまり、夜の商売で、だ。
「おい、おい!話が違うぞ!」と、泣きをみた経験が記者にもないわけではない。
A君のみならず。
“ありうる怖さ”なのだ。


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