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こちら、さんまじ芸能再生工場

昨日、池上本門寺近くの久松温泉に行ってきた。
ここの2階は宴会場になっていて、そこには幕や緞帳はないものの、きちんとした舞台があるのだ。
銭湯利用込みの1000円で舞台でカラオケを楽しむも良し、芝居をするも良しなのである。利用客が多いときは順番待ちなのだが、昨日は記者と仲間9人だけの事実上の貸切状態。そこで記者はひとりミュージカル『国定忠治』および『座頭市』をやったのである。
いやぁ、セリフがよく響く舞台なのだ!
あっ、いやいや、そうゆうことを報告したかったんじゃあない。
記者がなぜ『国定忠治』や『座頭市』にこだわるのかということをもう一度つたえておきたいのだ。

昭和歌謡と呼ばれるジャンルがある。
歌謡曲は大正時代にもあったが、昭和に花開き、昭和の終焉にシンクロして急速に力を弱めた。もちろん平成の現在でも歌謡曲は存在するが、歌謡曲は昭和の時代を映す鏡であった。では、昭和という時代がどのような性質を持っていたのか?
論点は様々だ。
ここでは一点に絞る。
ふたつの時代をまたにかけていることなのだ。すまわち、終戦までが近代、戦後からが現代だ。
明治維新からの77年間が近代であり、そこから今日の69年間が現代なのである。
では現代と近代との決定的な違いはなにか?
それは民主主義か封建主義かの違いなのだ。
封建主義は近世中世を遡って、王権が確立された時代から続いてきた縦社会である。絶対的な上下関係から悲劇が生まれ、その悲しみ・怒り・恨みが芸能・表現を豊かにしてきた。猿楽しかり。文楽しかり。あの忠臣蔵にしたって、忠義の美学を描きつつ、中央政権に対する地方武士の反逆を描いて封建制度を批判しているではないか。ましてや、大衆芸能、演歌などは、縦社会の矛盾、歪みをあからさまに描いてその是非を問うてきたのだと記者は思うのだ。
戦後になっても近代の生々しい封建社会の記憶が歌謡曲を支えてきた。昭和30年代後半は今井正や小林正樹らが残酷時代劇を撮って封建主義を告発した。現代社会にも封建制が生き残っていたからだ。そして、残酷時代劇のあとを引き取るようにして東映の任侠映画が量産されるようになり、『唐獅子牡丹』や『網走番外地』のヒット曲がうまれた。
先だって仁侠映画でスターになった高倉健が亡くなり「ひとつの時代が終わった」といわれたが、歌謡曲が昭和と共に消えたようにみえていまだに生き残っているのは、歪んだ封建制が生き残っている証拠なので、「死んで貰います」の名セリフは今後も語り継がれるべきものと記者は信じている。
『国定忠治』や『座頭市』あるいは『明治一代女』なんて題材はリサイクルされて演じられるべきものと思う。いや、そんなことはどうでもいい。リサイクルすることでさらに面白くなる題材なのだ。放っておくにはもったいない。

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