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おためごかし、又(その2)

役所という所は管理社会の看板みたいなもので、責任を常に意識している。それは法治国家の広告塔たる警察も同じこと。
常に慎重。
だが、その裏のいやったらしさに記者は虫酸がはしるのだ。
いやったらしさとは、つまり“事なかれ主義”のこと。
管理者は責任者でもある。平常に業務が推進されるように組織を管理するのが、管理者の第一の務めなのだ。責任問題を問われることを回避するのが務めであるならば、外務省は海外の危険地域に渡航してトラブルに巻き込まれるような危険性の高い人物からパスポートを取り上げることは当然の権利であり、義務であろう。
“義務”と言ったのは、外務省もやはり役所で、責任を回避できるようその公務を“なにかに義理立てして”遂行している立場をとっているからなのだ。権利だけで行えば100パーセント責任を負うが、義務といえばその行為が“やらされている”わけだから、やらせている者に責任を転嫁できるというわけなのだ。「皆様もつらいでしょうが、私たちもつらいんです」という声が聞こえてくるようだ。
では、役所を支配している責任者は誰か?
役人、とくに警察官を指して“犬”呼ばわりする習慣が大衆にはある。鼻持ちならない悪臭、いや、悪習だ。役人の飼い主は政府・国家であるとの考えからでているからなのであろうが、政府・国家にも飼い主がいることを私たちはうっかり忘れてものを言う傾向にある。ならば政府・国家の飼い主、つまり主権者は誰かといえば、言うまでもなく国民である。俗に言えば“世間さま”なのだ。
その“世間さま”というのが一番厄介なもので、政治(経世済民)の責任は政府・国家にありと考える。政府・国家は“世間さま”から委任されたとして任務として動く。“任務”には“義務”の意味合いを含んでいるから、責任逃れの道はいくらでも作れるというもの。
はてさて。
国民と政府との責任の擦り付け合いはどのように決着を着ければよいのだろうか。


この稿つづく

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