FC2ブログ

“13人殺し”を推理する

アガサ・クリスティーの代表作 The Murder of Roger Ackroyd
早川書房の邦訳名『アクロイド殺し』は、
生粋の東京っ子の訳者・田村隆一らしいネーミングだ。
こうゆう場合「深川五人殺し」のように「ころし」と発音するのだが、そのまえに軽く促音を入れると尚よろしい(誰から教わったのかもう忘れてしまったが、言い回しの“味”を伝えるのも記者の役目と思うので、皆さんも覚えておいて頂戴)。ちなみに「深川五人殺し」を題材にした南北の『盟三語大切』が8月の歌舞伎座にかかるそうな。じつは「さんまじ奇譚集」に掛けたいと30年来温めている演目なのだ(“盟”は「かみかけて」と読み、元ネタの並木五瓶の“五大力”を「書き換えて」とかけているのだが、わかるかなぁ)。

閑話休題(それはさておき)、と言ってもまだ噺のまくらでムます(「ございます」と読む)。

記者は先の“七人殺し”の報道を暗澹たる思いで聞いた。
関東大震災直後の虐殺事件。そう、あの甘粕事件のことが頭をよぎったのだ。なにか、こう、デモクラシーに止めをさされたような。
もちろん今回の処刑およびその罪と甘粕事件とは次元もタイプも違うのだが、国家に刃向かえばこうなると脅しをかけてきたように思えてならない。さかのぼれば大逆事件もそうだし、佐賀の乱の首謀者・江藤新平の梟首も“見せしめ”を意図したものだ。
“見せしめ”とは、国民全体を“犯罪予備軍”として犯罪抑止を目的とした示威行為で、ある意味で国家権力の自慰行為なのである。
さて、七人殺しのあと六人の処刑が行われた。
〆て13人が処刑されたのだが、7人の時も「いちどきに7人も!」という声があがったが、なぜ2回に分けたのか?分けるのであれば3回でも4回でも、或いは一人づつ時間をかけてもよかったのではないかとも思えるが、やはり、“見せしめ”を狙えば2回が妥当だったと考えられる。
なぜか?

いっぺんに13人はいけない。
13が不吉な数であることは周知のとおりで、クリスティーの13番目の長編がアメリカでは
Thirteen at Dinner 『晩餐会の13人』と題されて出版されているのを皆さんご存知か。
教祖・松本某を先ず殺って、そのあと12人なら尚更ダメだ。
13人といえば‟主と12人の弟子”なのだ。
それでなくても死刑反対の声の高い欧米諸国の過剰な反応を慮ったと考えるのは穿ちすぎであろうか。
明治維新より150年にしてこのザマはなんだ。やはり日本は野蛮国とみられるのは長州閥の誤算なりと言われるのは何としても避けたい、という思いが現政権にあるのではあるまいか。

そんなこんなで、‟13人殺し”はなされたと記者は推理するわけだが、マスコミは「真相が究明されずに終わった」などと通り一遍の文句を並べているが、そうだろうか?
じつは真相をすべて告白した‟裏切り者”がいるのではないか。
いわゆる13番目の弟子、そやつは銀貨2枚ならぬ身の自由の代償に密告したと考えるのはどうか。
密告とは秘密の告白である。つまり、世間には秘密にしておきたい真相なのだ。国民を犯罪予備軍とみれば、当局のみが真相を把握すればよいというのが国家の思いではなかろうか(国家というのは国民に主権があるのだが)。
だからこそ、国家権力に協力的かつ有益な情報を提供した犯罪者には罪を減じるという法律を‟七人殺し”にシンクロするように定めたのではあるまいか。

記者が‟七人殺し”の折に暗澹としたのは、わが国が Judas Country(裏切りの国)になることを憂えたがためなのだ。
あっ、それと。
この稿では「処刑」は「おしおき」と読んで、ね。
(江戸戯作のひそみに倣って文責御免、べろべろばぁ)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)