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万聖節の夜

今夜は万聖節だ。
万聖節。もはや呼ばれることのなくなった言い方だが、80年代中頃まではハロウィーンのことをそう呼んでいた。ハロウィーンを辞書でひくと「万聖節のこと」などと書かれているのだが、その”万聖”の意味が書かれていないのだからいい加減なものだ。
記者が万聖節のことを知ったのは中学に入って英語を習い始めた70年代のなかばで、そのころハヤカワ文庫で『オズの魔法使い』のシリーズが刊行され始めていて、第2作『オズの虹の国』にカボチャ頭のキャラクターが登場するくだりでハロウィーンのことが説明されているのを読んでそんな風習があることを知ったのである。
ちょうどその頃、晶文社からレイ・ブラッドベリの『ハロウィーンがやってきた』が刊行され、子供たちがハロウィーンを楽しむ様がいきいきと描かれていた。おなじブラッドベリの『何かが道をやってくる』もハロウィーンがテーマになっているが、翻訳刊行されたのが1964年で”万聖節”と訳されている。ちなみにいえば、トールキンの『指輪物語』がアメリカの若者の間でブームになったのも70年代の中頃のことである。ル・グィンの『ゲド戦記』もその頃だ。
まあ、80年代中頃までは”ハロウィン”という呼ばれ方はしていなかった。また、日本でもかえりみられる行事ではなかった。万聖節を体験することは、ブラッドベリを読むようなSFファンやファンタジーの面白さを知った文学少年あたりの密かな憧れであったのだ。

ところで、昭和50年のある日のこと、万聖節のことを母に尋ねたら「”ちかちん”と言って子供たちが家々を訪ねて廻るんだよ」と説明してくれた。”トリック・オア・トリート”のことを”ちかちん”と覚えていたのだ。そうゆう風に聞こえたのだ。叔母は日系2世のアメリカ人と結婚して本牧に住んでいたのだが、母も本牧でハロウィーンを体験しているのである。それがいつ頃のことかは聞かずじまいになってしまったが、確かに母は憧れのハロウィーンをずっと昔に経験していたのだ。
母の齢は昭和の年とシンクロする。惣領の母は病弱だった祖母の代わりに下の兄弟の面倒を見ていたため晩婚で、37歳で記者を産んだ。
芝生の植わっている広い敷地の米軍専用ハウスでハロウィーン・パーティーをしている妹を横目に、母は何を感じていたのだろう。もっと話を聞いておくべきだったと悔やまれる。
記者が『42歳の子守唄』という語り物の演目は、こうした思いから派生したものだが、機会を改めて”万聖節”と”母”をキーワードにアメリカ占領下の日本を描いてみたいと思う。

ともあれ、今宵は万聖節。
記者が一年で最も好きな10月も今日で終わる。だが、嬉しいじゃないか。今年は特別に祭りがつづく。
何がって?
午前零時を過ぎると初酉だ。

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