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フェミニスト十蘭

前回、記者好みの十蘭の短篇をいくつか挙げたが、長編はというと、やはり『魔都』になる。これはもう声に出して読み上げる快楽のための小説だ。登場する人物は地下の迷路に迷い込み、あるいは天高くそびえたつビルヂングに吊るし首の死体となって現れる。舞台はアップダウンの急展開を繰り返し、まさに今から100年前の東京を縦横に駆け巡るジェットコースター小説なのだ。
しかし、記者が愛して止まない作品はさにあらず。
『キャラコさん』一編を長編の第一とするものである。ただし惜しいかなこれは連作長編なのだ。
現代教養文庫版『久生十蘭傑作選』全五巻は中短篇の傑作を過不足なく収め、長編は『魔都』一編に絞られている。これは選者の中井英夫が十蘭の“気っぷ”が感じられるものをという基準にしたがって選んだ結果なのだという。
さて、“気っぷ”とは?
『野萩』という短篇で主人公の安(やす;十蘭の母親がモデルといわれる)の描写に
≪長唄は六三郎、踊は水木、しみったれたことや薄手なことはなによいきらい。≫
とある。過酷な運命に弄ばれ破滅してゆく十蘭の登場人物たちは、それでも端正に生き、死ぬ。しみったれた生き方をしないのである。そうした爽やかさを“気っぷ”と表現したのだろう。“心映え”といい変えてもいいと中井氏はいい、作者の小説を仕上げるときの気味合いのよさ、その“香り”を伝えたかったと〆ている。
旧三一版全集よりも教養文庫版選集に親しんできた記者は「この選集にもう一巻追加を許して貰えるのなら完全なマイベストセレクションとなりえるのに・・・」と求めてきた作品が『キャラコさん』なのだ。
『キャラコさん』には“気っぷ”“心映え”“香り”が全編に広がっていて、清涼感にあふれている。戦争色が濃くなる時世に十蘭は「我々の視線は(中略)若い女性への注意が疎却されている。」といい、国難を支える熱意と誠実を鼓舞するためには理想主義を捨ててはならぬ、との思いで『キャラコさん』を書いたという(昭和14年『新青年』8月号)。
苦しい時こそ誠実に、純心に、溌剌としていたい。
キャラコさんがそばにいるだけで爽やかな空気に包まれる思いがする。
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